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 ふるさとマルシェ本やの店主じゃんがら堂です。
 じゃんがら堂は、いわきの古本屋です。店舗は無く、駅前のラトブ6Fに事務所を構えております。古本を扱う一方で、民俗学徒として、いわきのじゃんがらを中心に、聞き書きをしております。夜は、たいてい平の呑み屋にいます。
 ふるさとマルシェ本やでは、福島やいわきなどの地域に関する書籍や資料を主に扱っております。このブログでは、じゃんがら堂が、お薦めしたい本や日々思ったことなどを綴りたいと思います。



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平盆踊りの変化−『常磐地区産業要覧』から
今日買い取りをした本の中に、『常磐地区産業要覧』があった。これは、平観光協会が1960年に編纂したいわきの概説書である。ざっと眺めていて、気になる表現があった。それは、「盆踊り」の説明である。

盆踊りは昭和10年ごろまで旧盆の軒先をまわる行事であり、旧盆の3日間、夕方から戸毎に薪を重ねて迎え火をたき、全市火の海と化して壮観をきわめたが、火災の危険と経済的な理由から迎火は次第に小規模になり、近年に至り、14、15、16の3日間夜は市内各所に大櫓を設け、仮装をこらした老若男女がキレイどころを交えて深更まで踊りぬき国鉄では臨時列車を運転する盛況にまでなった。

大須賀履の『歳時民俗記』でも、明治初期の盆踊りと迎え火の壮麗さについて触れられている。迎え火は、各商店が軒先に薪を重ねて火をたくもので、平が「火の海」に見えるほど凄まじいものであったという。しかし、昭和10年ころに「火災の危険と経済的な理由」から廃れていったとある。「経済的な理由」とあるのは、昭和恐慌のことであろう。ただし、迎え火が廃れる直接的な原因は、昭和8年の本町通りのアスファルト舗装工事にあったらしい。

 しかし、気になったのはその点ではなく一行目である。ここには、櫓踊り以前の盆踊りが旧盆の軒先をまわる行事であると記されている。明治あたりまで、いわきの盆踊りはじゃんがらであったことは、先の大須賀の『歳時民俗記』からも明確である。ただ、平の盆踊りが、じゃんがらから平盆踊りとなってゆく時期がはっきりしないのである。さらに言えば、櫓踊りが一般化する時期も明確ではない。
 この『産業要覧』の一文からすると、盆踊りは昭和10年ごろまでは「旧盆の軒先をまわる行事」であったという。ここでいう盆踊りは、じゃんがらとは別個である。というのは、「盆踊り」の項と別個に「じゃんがら念仏と盆踊」の項が立てられているからである。とすると、昭和10年ころまでは、平盆踊りで各新盆家を回っていたということになる。

 盆踊りの主催というと、町内会や商店会などを思い浮かべる。しかし、じゃんがらを見れば分かるように、かつての盆踊りは、踊り手たちと家との関係であった。と考えれば、平盆踊りの新盆回りとは、踊りこそ新しくなったが、盆踊りの形態は旧態のままであった。
 昭和初期は、昭和恐慌を町の力で乗り切ろうとする時期であり、その活動の一つとして盆踊りが注目された時期であった。『産業要覧』の市内各所に大櫓をあげたという記述からは、町を上げて盆踊りを盛り上げようとしたことが推測される。さらに国鉄の協力も、盆踊りの実行主体が、家から町へ変化していたことが窺われる。
 これまでは、じゃんがらから平盆踊り、そして、いわき踊りという踊りの変化が注目されてきた。しかし、平盆踊りの新盆回りを射程に入れるには、踊り自体の変化と同時に、実行主体の変化を見据えなければならない。



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