本や ふるさとマルシェ
いわきの本、民俗など。店主じゃんがら堂です。
カウンター



ふるさとマルシェ



プロフィール

Author:ふるさとマルシェ本や
 ふるさとマルシェ本やの店主じゃんがら堂です。
 じゃんがら堂は、いわきの古本屋です。店舗は無く、駅前のラトブ6Fに事務所を構えております。古本を扱う一方で、民俗学徒として、いわきのじゃんがらを中心に、聞き書きをしております。夜は、たいてい平の呑み屋にいます。
 ふるさとマルシェ本やでは、福島やいわきなどの地域に関する書籍や資料を主に扱っております。このブログでは、じゃんがら堂が、お薦めしたい本や日々思ったことなどを綴りたいと思います。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブログランキング

FC2ブログランキング



QRコード

QRコード



相互リンク募集中です!

■相互リンク一覧




地域ブログ

にほんブログ村 地域生活ブログへ にほんブログ村 地域生活ブログ 福島情報へ



リンク

このブログをリンクに追加する



RSSフィード



ブログ内検索



By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ



冷やし中華に季節感の欠如
3月23日

「冷やし中華を作ってほしい。」紀伊国屋の話じゃないけど、夏場にミカンなんてない。そして、GW前に冷やし中華なんてないのだ。

いわきペディアというインターネット百科事典を作っている。福島テレビで、いわきペディアの活動を紹介することになり、いわきらしい辞書項目として、冷やし中華があげられたのだ。冷やし中華にマヨネーズをかけること、これ自体、やっている地方はいくつかあるけれど、いわきでは、いわき独自の食習として考えられている。それで、冷やし中華を食べさせる店を探せとなったのだが、こんな時期に冷やし中華を作る店なんてあるわけがない。こんな取材を受けたいわきペディア事務局、そして、テレビ側の見識というか常識を疑うのだが。

唐突に夕方に連絡が来て、冷やし中華を作る店を探してほしいという。明日がロケだという。前日までに段取りもできないようだ。とりあえず、知人の店に当たってみるが、あまりに当然の如く断られた。数店連絡を取ってもらったが、どこも、明日の一食のために、素材を買い集め、昼間の忙しいときに時間を割く店なんてない。それでも、あるラーメン屋さんに頼み込み、OKをもらった。

季節感がなくなったのは、野菜や果実や魚などのナマモノだけではないようだ。

伯楽寮追記
以前某新聞に書いたものです。
伯楽の一日
 川内村の知人の暮らしがテレビで特集された。それは、面白おかしく、田舎の貧乏生活を紹介する番組だったという。巷では貧乏が流行っているらしい。より正確に言えば、貧乏ということばが喚起する、つましい暮らしのスタイルが注目されているらしい。

 そんな風潮を漠然と感じ始めたのは、私が大学に入学した90年代半ばのことだった。大学は茨城県の田舎にあって、いまだ学生向けの4畳半、1万円台のアパートや下宿があった。私が住んでいたのは、伯楽寮という気負った名の二階建てアパートだった。4畳半、月7500円で、風呂、便所は共同である。

 回りは、雑木林か藪だったので、自由に土地を使うことができた。住人は、藪を切り開いて、畑を作
っていたし、犬猫はじめ、鶏も飼っていた。私が住み始めた頃は、15部屋のうち、半分も埋まっていなかった。住人構成は、農業好きの学生と、ヒッピー崩れと、怪しげな留学生だった。付近で事件が起きると、必ず警察がアパートに聞き込みに来た。当時の私にとって、貧乏とは、明治後期の貧民窟ルポのような怪しさといかがわしさが充満する場であり、伯楽寮に住んだのも、こうした好奇心によるものだった。伯楽寮の人々や、そこでの貧乏な毎日は、私の未知の世界であった。いわば、貧乏とは、私の好奇心の方向性であった。伯楽酒棚


 2000年を越えるあたりから、伯楽寮に住人が増え始め、全ての部屋が埋まってしまう。さらに、驚くことに、予約まで入っているという。新住民のほとんどは、農業や環境科学を学ぶ学生だった。彼らは、実際に畑を作り、付近に借りた田んぼで米まで作っていた。田舎暮らしとささやかな生活への憧れ、それが彼らの貧乏生活であった。彼らとの酒飲みでは、私と彼らとの差異を感じることがあった。明確な主義主張を持った彼らの貧乏にとって、私のような好奇の場としての貧乏は、堕落した貧乏でしかなかった。



 こうした私たちの同時代的な貧乏と、60年代の「神田川」的な「貧乏」や「学生」「下宿」とは位相の異なるものだろう。「貧乏」とは、社会人となる前に体験すべき苦労であり、後の輝かしい生活への通過点であった。しかし、最近の貧乏とは、通過点というよりも、1つのライフスタイルの選択であり、後にも変わらずサイクルしていくといった感がある。伯楽呑み


 今、伯楽寮の玄関には、「今年度でやめます」という張り紙がしてある。アパートの老朽化と大家のばあさんの高齢化で、今年度でアパートが解体されるのだ。しかし、私たちの伯楽寮は今後も私たちの生活に底流していくだろう。その選択が、「名伯楽」足りうるかは、今のところ分からないけれども。



日常と非日常−伯楽寮の解体
3月20日 雨と風の強い日
案内状1
私が大学に入って住み続けた伯楽寮が4月に取り壊されることになりました。4畳半、7500円のおんぼろアパート。畑は作り放題、夜は呑み放題というアナーキーなアパートでした。

筑波大学創設時から30年間、さまざまな人が住み、暮らし、耕し、呑み、語り合った場であり、私にとって、もっとも大事な場所の1つでした。

解体を前に、住民の写真家志望のTが伯楽写真展を行います。案内状をアップしときます。

彼のページです。→ http://d.hatena.ne.jp/Evocacion/
彼の案内状から。

高橋良輔伯楽寮写真展
2008.3.26〜4.12

「ああ、あのアナーキーなアパートね」(HEATWAVE 山口洋)

 家賃は4畳半7000円、六畳10000円。風呂はボイラー、トイレは汲み取り。1.6haの広大な敷地に畑と林、果樹が点在し、住民が夜な夜な酒と音楽を奏でる不思議なアパート、伯楽寮。
 筑波大学の開学とほぼ同時に開寮、共に30年の時を歩んできたが、今年4月をもって取り壊されることとなってしまった。
 最後の一年、19歳から40歳までの男女10人の住人、そして動物たちの濃密で奇想天外な生活と、寮を取り巻く自然の移ろいを写真で記録、集成。


 私は97年冬に、このアパートを見つけ、一度、退去しましたが、3年前からまた部屋を借りていました。ほぼ20代の10年間を伯楽寮で過ごしたことになります。

20日は、自分の部屋の引越し作業。雨の中、粗大ごみをクリーンセンターへ持ち込みました。酒棚とちゃぶ台だけとなった4畳半がこれほど広いものとは思いませんでした。

夜は、例の如く、住民が集まって、どんちゃん。坦々鍋を作りました。日常茶飯事(日常飲酒事?)であった伯楽呑みも、あと数回です。



勿来で呑み
3月18日(火)学ばない猫

昨晩は勿来の知人宅で呑み。戴き物の久米仙とその他雑酒を持ち込んで、朝までどんちゃん。

朝、久米仙がまだ臓腑に沁み付いたまま、学ばない男2人は、朝の散歩に繰り出しました。もっとも学ばない男は、まだ寝袋の中に居ます。

春らしい陽気で、勿来町の鎮守国玉神社に詣でました。町民が境内の清掃をしています。どこか罪悪感を感じながら、「おはようごいます」と挨拶をします。

窪田の町を軽く歩いて、その後、勿来の関へ。夕方までの仕事があったので、ゆっくり見ることもできず、平へ戻ります。

勿来町の原稿があったので、土地勘を身につけようと開いた呑みだったのですが、結局は呑み場所が一つ増えただけだったのかも。

学べよ自分。もっとも学ばない男は、今晩も呑みだそうです。

写真は、勿来の関で、木に登ったはいいけれど降りられなくなっている学ばない猫。


沢尻の大サワラ
サワラ1 いわき市と小野町との境、川前町沢尻にある大サワラを見に行った。沢尻の集落を見下ろす場所に大サワラが立っている。樹高は30メートルを超え、幹回りは9メートルに及ぶ。

 サワラの前の鳥居をくぐると、根元に小祠が3つ祀られていた。祠の中の札には産土神社とある。木自体が、集落の鎮守となるのは珍しい。傍らには、オフクラがいくつかあった。

 樹齢は800年とも1000年ともいわれているらしい。この大サワラの生命力自体、驚くべきことである。数百年の樹齢を重ねた樹木を身近で見ることは中々ない。

 このサワラが植樹されたものか、自生したものかは分からない。けれど、数百年間、沢尻の人々が守り続けたものであることは確かだろう。実は、沢尻では、サワラではなく、外見のよく似たヒノキとされていた。サワラ2

近くで、道路工事なのか、重機が置いてあった。周りの田んぼは圃場整備がなされている。大サワラは、1974年に国の天然記念物に指定され、説明版も整備された。ヒノキではなく、サワラとなった。

しかし、大サワラの樹冠が作る鬱蒼とした神域だけは、数百年間変わっていないのだろうと思う。


banaブログランキングに参加しました。

いわきで落ち着ける場所
mack
3月13日(金)

友人と駅前のマックに行きました。最近、ここのコーヒーが好きになって、買って帰ることが多いのです。今日は初めて店内に入りました。

店内は、窓がなく、ドアも見えません。つまり、外の景色が一切遮断されている空間。

これが妙に落ち着きます。いわきにいることを忘れさせてくれる空間です。

いわきであって、いわきでない場所。こんな場所に惹かれるのかもしれません。

総合図書館の5Fの受付も好きです。そこから外の景色を見ると、木が数本見えるだけで、いわきじゃない所にいる感覚になります。

受付から少しずれると、余計なビルとかが視界に入り、いわきの現実に戻ってしまうんですが。

現実逃避のマック通いが始まるかも。…でも、午後に行くと、高校生のいわき弁で現実に引き戻されれるんですが。
じゃんがらの北限
長者原大熊町夫沢(おっとざわ)は、大熊町の北東部、福島第一原子力発電所のある地区です。夫沢第二区は、長者原と呼ばれています。以前は、双葉町にもじゃんがらがあったといいますが、現在は、この大熊町がじゃんがらの北限です。

じゃんがらを踊るのは、13日と14日です。13日は、区の新盆家庭を供養して回り、14日は、塞神社の夜祭に盆踊りの後、踊ります。

太鼓は2人から6人。基本的には2人ですが、次の世代に伝承させるために区の子供を太鼓に交ぜるそうです。鉦・踊り手十数人、踊り手は、各隣組より4人ずつ参加することになっています。じゃんがらの構成は、いわきと異なり、太鼓→踊り→太鼓となっています。

太鼓を回る鉦は、いわきと異なり、前に進む左回り。いわきと同じように「ナーハーモーホー」ですが、その踊りは、いわきと異なり、どちらかというと相馬盆踊りに近いものです。おそらく、相馬盆踊りが挿入されたことによって、左回りの手踊りとなったと推測されます。

また、鉦を下から頭上高くあげるダイナミックな動きが特徴的です。塞神社


踊り手の女性たちは花笠をかぶります。これは、演芸会が流行したときに、区の女性たちが山形の花笠踊りを覚えて、それをじゃんがらに取り込んだためだそうです。

年末に区長さんに話を伺ったのですが、実は、ビデオでしか大熊町のじゃんがらを見たことがなく、今年こそ、長者原のじゃんがらを見れればと思っています。

banaブログランキングに参加しました。


じゃんがらのCDが出ます!
じゃんがら1
じゃんがらのCDが出ます!

もう少し時間がかかりますが、全国のCD屋さんに並ぶはずです。

今回は、5団体ほどの音源を収録したもので、平地区を中心としたじゃんがらがメーンです。

じゃんがらの音源といえば、昭和50年代に出たビ○ターさんのものがありましたが、途中でFOするし、音は悪いし…。また、全国の太鼓シリーズだったか、企画モノに音源が収録されることもありました。が、どちらも、太鼓をメーンとして、念仏踊りを収録しなかった。(じゃんがら音源の歴史については、別に詳しく書きます)

今回は、しっかりと、じゃんがら全体の音源を収録し、また、数団体の音を聞き比べることができます。

私としては待ちに待ったCD化でした。

大物ミュージシャンの魂の入ったじゃんがらノーツが凄いです。(詳しくはいえませんが)

また、恥ずかしながら私のライナノーツも載ってます。

詳しいことが分かり次第、大いに宣伝させていただきます。

(写真は友人のせいじさんのもの)

banaブログランキングに参加しました。

事実と納得
馬頭観世音3月4日

浜通りのある町の町史編纂に関わっております。3月末日の発行なので、今が大詰め。

葬送、婚姻、年中行事、社会と民俗という箇所を担当しています。

民俗編は、もう当事者たちも覚えていないことを記述することもあるので、確認のしようがない場合も多々あります。

「うちの観音様のお祭りは、ずっと5月8日でやってる。」という電話をいただきました。

あるお寺で行われていた馬のお祭りを、私がある古老の聞き書きより、旧4月8日の行事として記述しました。しかし、昭和初期にお寺に入ったお婆さんは、「私の記憶だとずっと5月8日だ」というわけでした。

実際に、そのお寺へ行って、お婆さんの話を聞く。結局、旧4月8日で行われていた時代は分からなかったわけですが、おそらく、新5月の月遅れに変更した時代があったのでしょう。お婆さんに納得してもらいます。

民俗の場合、現在も行われ、また、記憶として生きているわけなので、「事実」も大事ですが、当事者の「納得」がもっと大事だなあと思います。

原稿には、現在は5月8日であることと、戦時中、徴収された軍馬が数十頭、お祭りの日にお参りにきたというお婆さんの記憶を追記することにしました。。寺犬


それぞれの記憶を紡ぎ合わせたものが民俗誌であり、なるたけ多くの人の話を、記憶を聞き出し、そして書き留めておきたいと思います。しかし、聞き書きは、時間がかかるし、もう少し、時間と余裕があったらなあと、原稿校正をしながら思うこの頃です。

banaブログランキングに参加しました。

自分の足で歩く(3)−高橋歩さんのビーチロックツアー−
流れ星3月2日(日)

平下荒川の龍門寺で、「Beach Rock Tour in FUKUSIMA」が開催された。自由人高橋歩さんのトークライブで、20代、30代の若者を中心に50人ほどの観客が集まった。カフェ・バー、出版社の経営から、世界放浪、自給自足を目指す沖縄のビーチロックビレッジの活動、家族のことについて、高橋さんが映像を交えて話をした。

ビーチロックビレッジとは、高橋歩さんとその仲間たちが沖縄本島に作った村。旅人を泊める宿泊施設やカフェバーがあり、農業体験、トレッキングツアー、ライブなどの企画イベントも行っている。いわば、平成の新しき村といったところか。

高橋さんの活動や本については、実はあまり知らなかった。しかし、こうしたイベントに、いわきの若者がこれほど集まるとは正直驚いた。呑み会でビレッジの人に聞くと、仙台では200名を越えたそうで、いわきは少ないほうという。

イベントのあと、平田町の呑み屋で打ち上げ。イベント参加者の打ち上げ参加率も相当なもので、半分以上の人は呑み会に参加していた。参加者に話を聞くと、高橋さんの本を読んで感銘を受けたという若者がほとんど。また、いわきだけでなく、須賀川、郡山、会津若松、福島など県内各所から来ていた。

高橋さんは、今年の11月には沖縄のビーチロックビレッジの代表を辞める。そして、家族4人で数年間世界を放浪し、そのあとでハワイに暮らすつもりという。

そのときに、やりたいことをやる。その瞬間にしかできないことをやる。何かに歩かされるのではなく、自分の足で歩く。

「歩さんにビレッジで何をやりたいといわれて、音楽イベントをやりたいっていったんです。そしたら、じゃあやれとなって。結局、1000人を越えるイベントで大成功でした」

「世界の歩き方」ではなく、自分の歩き方を求めて、人が集まるのかもしれないと思う。それは、人によっては、世界放浪であろうし、農業であろうし、音楽でも、出版であってもいい。自分の足で歩いているという実感のこめられた高橋さんのことばに人は共感する。

banaブログランキングに参加しました。


テーマ:日記 - ジャンル:日記

自分の足で歩く(2)−放浪書房さん駅前に現る−
歌い手放浪書房さん

3月1日

仕事場の前の目抜き通りへ出てみると、何やら怪しい空間が…。

なんと、通りに古本屋が開店しておりました。

全国各地を放浪している放浪書房さんです。並べてあるのは旅に関する古本ばかり。ケース3つほどの古本を並べ売っていました。

「車で移動してるんですか」と聞くと、「歩きです」といいます。幾つかのケースを、台車に載せて、電車で移動し、あとは気に入ったところで店を開くのだそうです。身軽な古本屋さんです。

店主のトミーさんは、日本全国を放浪し、イラストや文章を描いていましたが、弟が古本屋を始めたので、放浪する古本屋になったそうです。

「一番遠くはどこまで行ったんですか」「尾道から瀬戸内海の島々を回ったんですが、売れませんでした。」

東北の営業は初めてで、今回は、自由人高橋歩さんのイベントの一環としていわきに来たそうです。高橋歩さんのイベントは気になってましたので、明日の再開を約して、『野宿野郎』を全巻まとめ買いしました。

自分の足で歩く(1)−平そぞろ歩き−
とまそん1とまそん2どあ


3月1日 風の強い日曜日。

久しぶりに平の町を歩いて見ました。

喫茶ブルボンの異様な光景、怪しげな地下道、庭先に無数においてある水石、誰だか分からない銅像、咲きはじめた梅の花、古いマンホール、潰れたラブホ、平城の石垣、九品寺の大木、町を縫うように走る江筋、昭和のレトロな建築群…。

一時間ほどの散歩でしたが、いろいろなものを見ることができました。町は情報に溢れたテキストなんだとあらためて思いました。

インターネット上に、莫大な情報が溢れているといいます。しかし、同じ一時間PCの前に座っても、この散歩以上の情報を得ることはおそらく難しい。

移動速度、通信速度が高速化して、目的の場所や情報にすぐに到達することができる。しかし、そこで失っているものは、おそらく非常に莫大なものではないのか。

…そんなことを思いました。

ゆっくり歩くこと。寄り道をすること。自分の足で歩くこと。時代に逆説的ですが、情報を集める最良で最速の方法なのかもしれません。

テーマ:日記 - ジャンル:日記