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本や ふるさとマルシェ
いわきの本、民俗など。店主じゃんがら堂です。
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ふるさとマルシェ本や

Author:ふるさとマルシェ本や
 ふるさとマルシェ本やの店主じゃんがら堂です。
 じゃんがら堂は、いわきの古本屋です。店舗は無く、駅前のラトブ6Fに事務所を構えております。古本を扱う一方で、民俗学徒として、いわきのじゃんがらを中心に、聞き書きをしております。夜は、たいてい平の呑み屋にいます。
 ふるさとマルシェ本やでは、福島やいわきなどの地域に関する書籍や資料を主に扱っております。このブログでは、じゃんがら堂が、お薦めしたい本や日々思ったことなどを綴りたいと思います。



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二つの風景
つげ
 ガロの編集者であった高野慎三の「つげ義春を旅する」(ちくま文庫)を読んだ。ひなびた温泉街や宿場町、漁村などつげのマンガの舞台となった場を著者が訪ね歩くルポルタージュであった。会津地方を多くつげが旅したことは知っていたが、実際につげの作品に出てくる風景や人、モノに実際のモデルがあったことには驚かされた。奥会津、会津西街道。著名な温泉地ではなくて、ひなびた温泉地や街道筋の商人宿をつげは好み、作品のモデルとした。作品となったスケッチもそうだが、つげが当時、撮影した写真群も今では貴重な記録となっている。
 
 民俗学者宮本常一も観光マップには掲載されない風景を求めて、日本全国を行脚していた旅人の一人と言っていいだろう。ひなびた温泉街をつげが求め歩いた60年代末、下郷町の大内宿は、宮本らによる調査が始められ、近世宿場町の景観を残すことが「発見」される。それを契機に、行政を含めた保全運動がはじまり、80年代初頭に国により保存地区に指定された。 
 
 宮本が追い求めた風景や、つげが好んだ世間から見離されたような温泉場は、観光マップに載っているわけではない。宮本もつげも、自らの足で、地元の人、旅人から情報を収集するなど、独自に自分好みの風景を追い求めていった。先の高野の著書の中に、つげが宮本の著書を参考にしていたことが出てくる。しかし、結局は「なにかありそうだなあという勘」なのだとつげはいう。

 昨年暮れの古書市で、宮本の写真集を競り落とした。昨今の“常一ブーム”で安くは買えなかったけれど、個人的に欲しかったので、無理して落とした。宮本の写真については、近年、さまざまな論者によって、その重要性が指摘されている。資料性の高さ、視線の確かさなど、今後の利用も含めて、宮本の残した豊穣な財産と言える。宮本が所長を務めていた観光文化研究所で出していた冊子「あるくみるきく」に、ある時期、宮本は「一枚の写真から」という連載を行った。それは、宮本の学生たちが、全国各地から撮影してきた一葉の写真に宮本が解説を付けるというものだった。桑名の太神楽、島根県のある浜辺のイカ干し、土佐堀川の橋…。その一葉を突破口にして引き出される宮本の知識は、恐ろしく該博だ。

 つげの「勘」が辿りつかせた重苦しいひなびた風景と、宮本の残した膨大な写真群と知識群。それは、一つの風景のネガとポジのような気がしてならない。


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デジタルとアナログ 柳津町にて
yanaidu1月29日(木)

 いわきから会津へ高速を飛ばす。心配していた雪もなく、2時間ほどで会津坂下を降りて、目的の柳津町へ到着する。花ホテル滝のやの2階宴会場では、すでに30人ほどがあつまり、講演会が始まっていた。

 滝のやでは、毎週のように講師を招いて、講演会を行っている。著名な方から、一般の方まで、講師を務める方はさまざまである。本日の講師は、会津東山温泉の旅館主人。「あなろぐ木造旅館のデジタル武装」と題し、ホームページを開いてからの顛末を、具体例に基づいて話していただいた。ときおり、会場から笑いが起こる和やかな講演となった。

 ネットという空間において、旅館業の主軸である接待という人と人との具体的な関係性をどのように作っていけるのか。そこにあるのは、従来の旅館の接待にあるアナログな心持。講師いわく「見るのは情報、読むのは心」。掲載した個々の情報から、旅館で働く人々の心が読み取れるホームページを作ること。そのためには、旅館での日々を定期的に伝えてゆくことが重要である。更新の止まってしまったホームページからは、停滞してしまった旅館の姿しか伝わらない。(このブログのように)
具体的な個人の動きが、相手側に伝わること。例えば、板前の毎日や旅館主人の草刈りの様子など。あるとき、来館された方から、草刈りで痛められた腰は大丈夫ですかというねぎらいの声があったという。ネットを通じて客は、主人が慣れない草刈りにより腰痛を発したことを知ったのである。旅館側と客側という二項対立的なサービス関係が、インターネットを通じて、変わりつつあるのかもしれないと思う。

 講師の話は、講演後の吞み会を超えて、さらに日が変わっても続けられた。それだけの高い内圧を感じる。多分それは、パソコンの向こう側で、ホームページを開く人々にも伝わっているのだろう。

 会津柳津は、虚空蔵さまで有名な場所である。虚空蔵菩薩といえば無限の知恵と富を司る仏様。インターネットという虚空の空間にある無限の情報をどのように扱っていくのか、そして、富を運ぶのか。旅館の宴会場で、酒を呑みながら、延々と人の語りは終わろうとしない。

『イザベラ・バードの会津紀行』
イザベラバードの会津紀行
『日本奥地紀行』という本がある。明治の初め、イギリス人女性イザベラ・バードが東北・北海道を旅した際の紀行文である。1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京より日光、会津、新潟へ抜け、日本海側から北海道に至る旅であった。当時の地方農村の様子が活写され、貴重な記録となっている。

『イザベラ・バードの会津紀行』は、バードの会津の旅を追ったものである。日光を見物したバードは、これからの旅は「未踏の地」であり、「古い日本」を残した場所となると語り、栃木県との境、山王峠を越え田島へ入った。そして、大内宿、会津高田、会津坂下と北上、阿賀野川を遡り新潟県阿賀町へ抜けている。一週間ほどの会津の旅であった。

バードを一晩眠らせなかった呑めや歌えの川島のサナブリ。「外人が来た」と宿屋に殺到する高田の人々。蚤や虱の充満する宿屋。干魚の強烈な匂いの立ち込める会津坂下。その美味しさに驚いた津川の生鮭の切り身。

本書は福島県立博物館長赤坂憲雄による「イザベラ・バードの会津紀行」、同館学芸員の佐々木長生による「イザベラ・バードが見た会津の民俗」を収録。バードの旅を通して、会津の近代を浮かび上がらせる。衛生、交通、労働、女性、子供、教育、文明、国家…。近代化とは何だったか、バードの旅は、現代の私たちに問いかける。

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