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本や ふるさとマルシェ
いわきの本、民俗など。店主じゃんがら堂です。
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ふるさとマルシェ本や

Author:ふるさとマルシェ本や
 ふるさとマルシェ本やの店主じゃんがら堂です。
 じゃんがら堂は、いわきの古本屋です。店舗は無く、駅前のラトブ6Fに事務所を構えております。古本を扱う一方で、民俗学徒として、いわきのじゃんがらを中心に、聞き書きをしております。夜は、たいてい平の呑み屋にいます。
 ふるさとマルシェ本やでは、福島やいわきなどの地域に関する書籍や資料を主に扱っております。このブログでは、じゃんがら堂が、お薦めしたい本や日々思ったことなどを綴りたいと思います。



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『いわきビットVOL8』刊行
iwaki-bit
 いわき未来づくりセンター発行『いわき人VOL8』が出ました。総80ページに及ぶいわきの人々のルポ集。今号は、いわきの観光というテーマで、いわきの中の隠れた魅力を特集しています。

 私は、「じゃんがらの北限・南限」という題で、じゃんがらの北限である大熊町長者原、南限の北茨城市に伝わるじゃんがらを取り上げました。北限・南限のじゃんがらを通して、じゃんがらの古形を復元してみました。今のじゃんがらとは異なったじゃんがらが提示されているはずです。

 興味を持った方は、市内の本屋さんかコンビニへ。380円也。

(近いうちに、ふるさとマルシェでも扱えるようにします。)

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『かぼちゃと防空ずきん』
かぼちゃと防空ずきん

『かぼちゃと防空ずきん』は、いわき市内を中心に昭和初期から昭和30年ころまでを対象にした手記を集めたもの。141人の手記が収められている。戦争と暮らしの手記が中心を占め、「その時代の苛烈さ」から当然のことと「あとがき」に編者は記している。
しかし、戦中だけでなく、戦後までを含めたのは、日本の社会の転換点であり、そこでの個人の「苛烈」な体験が、戦後の日本を作っていったという編者の意識からだと考える。

たとえば、編者の吉田隆治にとっての「戦争」とは、吉田が生まれ育った阿武隈高地の山村常葉町の大火事であった。昭和31年に起こったこの火事により、常葉町の大半が焼失した。当時、小学2年生であった吉田は崩れ落ちる我が家と買ってもらったばかりの自転車が火中に消えてゆくのを黙って見ているしかなかったという。

一夜明けて、吉田は、新聞記者から取材を受ける。廃墟の中であっても、我が家の場所の見当は付いていた。が、なぜか「知らない」と答えた吉田は、後日の新聞に「お家を探す子」として写真入で掲載される。焼け跡の中、自分の家を探し出す少年として、新聞は吉田を報じた。それは、吉田の短い「言葉」と現実を映し出す「写真」から産出される「事実」ではあった。

けれど、と吉田はいう。

灰の町。たくさんの家畜の焼死体。焼け死んだおばさんを取り囲む人々。ぐにゃりと曲がった十円玉。満開になった小学校の桜。一週間後、寄宿先の親類の家に現れた飼い猫のミケ。東京の勤め先から帰って来て、焼け跡で涙を流していた姉……。

「知らない」は、突如襲った「苛烈」なカタストロフィを消化しきれない少年が搾り出せた唯一のことばだったのかもしれない。しかし、新聞は、そんな少年のことばの内情からは、遠い「事実」を描いた。

ことばはいつも暴力的だし、そして、何も語らない。そんなことばへの不信感が、吉田をことばに繊細な詩人へ、ことばで現実を描く新聞記者へと駆り立てたのかもしれない。
吉田は最後に鮎川信夫の文章を引いている。

人生においては、あらゆる出来事が偶発的な贈与にすぎない。そのおかえしに書くのである。正確に、心をこめて、書く。―それがための言葉の修練である。

吉田の「戦争」の帰結の1つが、本書の編集であったのかもしれないと思う。

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『ハワイ移民史』
hawaiiminフラガールで一躍全国区の”ハワイ”となったいわきですが、ハワイとの繋がりは、明治にまでさかのぼります。いわゆるハワイ移民です。

日本政府の事業としてのハワイ移民(官約移民)は1885年より始まります。1894年より、民間会社の私約移民が始まり、1898年には、福島県でも移民の呼びかけが始まります。1900年代、ハワイにアメリカ合衆国法が試行されたことにより、次第に移民制限が厳しくなり、1924年にハワイ移民は完全に禁止されました。

『ハワイ移民史』は、ハワイ移民の祖父を持つ安藤さんが、祖父のライフヒストリーを書簡や関係者への聞き取りから再構成したもの。

安藤さんは、私と同じくらいの年で、ハワイ移民について一から調べて書いたものなので、平易で文章は分かりやすく親しみやすいです。

私も共著者として、浪江町のハワイ移民である原田家について書かせていただきました。詳細はまた別の機会に書きたいと思いますが、明治後期のハワイとの関係が、いまだに続いていることに驚きました。

敗戦直後に、ハワイからマヨネーズとマカロニを送られて、浪江の原田家では食べ方に困ったという話や、ハワイの原田家が戦後、家紋の額装を欲しがって、送ったら大変喜ばれたという話もありました。

浪江とハワイの文化交流が、手紙や物資のやり取りでなされていることは、大変興味深いことと思います。

私たちは、ハワイとの文化交流というと、実際にフラを見たり、ハワイへ行ったりします。しかし、ハワイ旅行が一般化するまで、ハワイとの文化交流は、手紙の文字であり、絵葉書の写真であり、そして、送られてきた異質なモノであったのだと思います。

ハワイ旅行やスパリゾートが体験のハワイであるとするならば、原田家のハワイは、想像のハワイであったといえます。お互いモノを通して、お互いの暮らしや風土や人間を想像する。それは決して貧しいものではなく、モノを通じた豊かな交流であったと思うのです。

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『土の味』 和田文夫
土の味 和田文夫は、大正5(1916)年、いわき市四倉町長友に生まれている。家業の農業に従事しながら、昭和10年、柳田民俗学の門戸をたたき、その後、磐城民俗研究会、福島県民俗学会の中心として活動している。

 和田が、野の草や木の実などのエッセイを新聞連載したものを一冊にまとめたのが本書である。くるみ、ははこぐさ、セリ、カタクリ、タラボ、ゴマなど43の山野草を収録している。実際に和田が、採取し、料理し、食し、または、村人に聞いたことが記され、ときに、民俗学的知見が披瀝される。

 和田の文章は、味覚、嗅覚、触覚を刺激する。それは、和田が民俗学という学問の世界よりも、一個の農業者に基礎を置いて紡がれた文章だからだろう。


例えば、「ふくのぢ」から文章を抜き出してみよう。

…土のぬくもりは春なのであろう、枯れ草のなかに“ふくのぢ”(ふきのとう)が、紫がかった褐色の表皮にぬくぬくとくるまって、顔を出しはじめた。枯れ草を分けて、つまんだ指に力を入れてひねると、ポキッと土からもぎとれる。ぷくっとしたやわらかなまるい玉が、ころりと手のひらに転がって“ふくのぢ”の香りが、プーンとくる。

 和田の文章は、「ぬくぬく」「ポキッ」「ぷくっ」「ころり」「プーン」という擬音語を用いるところに特徴がある。ふくのぢを採取した後、和田は水を張ったどんぶりに「ポン」と投げる。そうすると、「ぷくぷく」とふくのぢが浮く。水から出したふくのぢを、「シャキシャキ」と刻み、小皿に取って、しょう油を垂らして、口に入れる。

ほろりと苦味が舌にさわる。ふわっと香りが口いっぱいにひろがる。苦味はトウヤク(せんぶり)のように口に残らない。さらっと消えるが、香りはしばらく口の中に残る。刻まれた一ひらひとひらをつまんで口に入れて、小皿にはやがて花となる小さな粒々が残る。それをも一粒一粒つまんで口に入れる。しばらくは、この粒々からの苦味と香りが口のなかだけでない、あたまのてっぺんまでずうっとのぼる。

 どうだろう。ふくのぢがもたらす春の香りと頭のてっぺんまで上ってゆく苦味を感じられたのではないだろうか。

 ふくのぢ味噌を作るのは、いつも祖父の仕事だったと和田は続ける。囲炉裏の横座で、孫の和田が押さえるすり鉢にふくのぢを入れて、「ごりごり」祖父がする。そこで、和田は、囲炉裏の話を持ち出す。囲炉裏の横座に座るのは家の当主だけで、ほかにはお坊さんと馬鹿者か猫である。猫は、囲炉裏で焼いている魚を狙うものだが、カンのよいもので、家人の注意がそれたところを見計らっている。和田はこんな調子で、回想を続ける。

 祖父の持病は「ぢ」で、ふくのぢは胃の薬とも「ぢ」の薬ともいわれていた。しかし、そのために祖父がふくのぢ味噌を好んだのかはわからない。

 和田の文章は、結論に達しない。和田の記憶と体験を堂々巡りする。読後に残るのは、答えではなく、和田の感じた触感であり、味であり、匂いなのである。

 「土の味」を読み終えれば、不思議なことに、土にも味がある心持ちにさせられるだろう。


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