本や ふるさとマルシェ
いわきの本、民俗など。店主じゃんがら堂です。
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Author:ふるさとマルシェ本や
 ふるさとマルシェ本やの店主じゃんがら堂です。
 じゃんがら堂は、いわきの古本屋です。店舗は無く、駅前のラトブ6Fに事務所を構えております。古本を扱う一方で、民俗学徒として、いわきのじゃんがらを中心に、聞き書きをしております。夜は、たいてい平の呑み屋にいます。
 ふるさとマルシェ本やでは、福島やいわきなどの地域に関する書籍や資料を主に扱っております。このブログでは、じゃんがら堂が、お薦めしたい本や日々思ったことなどを綴りたいと思います。



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日立にて
7月20日(金)

古本催事の搬入手伝いのため日立市へ。4店舗によるスーパー催事で、日立の中心地にあるスーパー。入って驚いた。1階の半分くらいはテナントが入っていない。一階の入り口近くにある宝石屋さんは閉店セールをやっている。空いたテナントスペースにはベンチが一つぽつんと置いてある。歯抜きの商店街のシャッターよりも寂しい。こんな寂しさ満点のベンチに座るのはどんな人なんだろうと思う。

そういえば前に宮城県や茨城県の農村部のスーパー催事をやっているときには、そんなベンチに行き場をなくした老人たちが、日がな座っていたのを思い出した。

一昨年の福島県の民俗学会のときに、講演者が隠居制が再生産されているという論を述べていた。隠居制とは、家督を譲った後に、息子家族とは別の家、隠居家に住む制度のこと。現在の隠居制とは、農村部などの老人たちが、息子家族とは別れて、都市部のマンションに住むことだそうだ。さらにいえば老人保養施設もその一つと論の上では言えてしまうのかも知れない。

しかし、その結路がスーパーのベンチだとしたら、寂しいことである。
北千住の手相見
7月15日

知人の古本屋さんの手伝いで大泉学園へ。買取の手伝いでした。アパート住まいなので油断をしていたら。とんでもない量でした。汗だくになりながら、本の縛りと積み込み。店に持ち帰ってから、仕分けと縛り。瞬く間に時間が過ぎ、18時過ぎに大泉を後にしました。

21時過ぎに北千住に。駅を降りると、「手相を見せてください」と短髪の若いまじめそうな青年が近づいてきました。多少、酔っ払っていたので「いいよお」と承諾。銀座なんか歩いていても「手相を見せてください」とよくつきまとわれました。でも、面倒くさいので、見てもらったことはありませんでした。少し、期待しつつ世間話から。

「手相で食べているの?」「派遣で暮らしています」
「ゆくゆくは手相で食べていくの?」「手相じゃ食べれませんよ。仕事が終わってから、手相を見に街に来るんです。趣味みたいなものです」
「何歳?」「21です」
「手相って当たるの?」「手相は統計的・確率的なものですから、いろいろな人々の手相から帰納的に占いの結果が出されるわけです」

てなわけで、右手を差し出しますと。「いい手相ですねえ。何か大きなことをしそうです。お金もたまりますよお」

と、突然、彼の携帯に電話が入り、占いを途中に彼はどこかにいってしまいました。そういえば、一番大事なことを占ってもらっていなかった。今日の宿をどこにすればいいのかを。

新宿にて
新宿
7月14日
いわきの古本屋さんが市に品物を出すというので、一緒に車に載せていただき東京へ。朝の5時半に出発し、9時前にはついてしまいました。年度替わって、初めての市ということと、先週と次週が休みなので、大量の本が出品されました。市の仕事が終わったのは20時に近かったです。

それから神田で東京の古本屋さんたちと呑み会。今回は一次会で、といっても12時近かったのですが。帰らせていただきました。しかし、地下鉄の乗り換えに失敗し、表参道で最終列車がなくなりました。交番で聞いても、近くにはビジネスホテルはないとのこと。渋谷か新宿まで歩いてくださいと言われ、とぼとぼ夜の明治通りを歩きました。新宿のネット喫茶で朝を迎えました。
屋上の記憶
八重洲のビル7月8日

先日、平のビアガーデンで呑んだ。5階建てのビルだけど、屋上の周りには高いフェンスがあるので街自体を見下ろせるわけではない。遠くの赤井岳や湯の岳が望めるくらいで、あとは空が見えるだけだ。屋上は展望台ではないから、それは当然のことではある。しかし、地上のむし暑さを離れて、涼風に生ビールを呑むのは、やはりなんともいえない心地である。

いわき駅ビル35年史の取材で、駅ビルの屋上のビアガーデンと、そこで演奏したバンドを探している。昭和48年にオープンした平ステーションビル「ヤン・ヤン」は、昨年クローズし、現在解体中である。3階建てで屋上に銀座ライオンがビアガーデンを開き、また、夏にはさまざまな催事が行われていた。ある時期から、屋上は閉鎖されてしまうのだが、他のデパートの屋上と同様に、市民に利用されていた。

ネーミングからも推測されるように、ヤンヤンは若者文化の発信というテーマを持って、屋上ではバンド大会、フォーク大会などの音楽イベントが行われた。それらは、オープン5年ほどで終わってしまうのだが、屋上ビアガーデンと共にヤンヤン当事者に強い印象を残している。セールと抽選会以外に大きなイベントを持たなかったヤンヤンの35年の歴史の中で、輝かしい記憶なのであろう。

そのため、この屋上の記憶を何とか記録したかったのだが、つてを辿っても、ビールは呑んだけれど…という話ばかりだった。確かに、ビアガーデンの記憶なんて、楽しく呑んだという意外には残らないのかもしれない。

祭りやイベントごとなどの非日常的なコトだって、苦労話や失敗談の方が記憶に残りやすい。呑み会では“武勇伝”の方が残りやすいのだ。どんな風に呑んで、どんな音楽が流れていたのかなんて、楽しく呑んだ記憶は残りにくい。だからこそ、ビアガーデンはディティールを昇華した思い出としていつまでも残るのかもしれない。


見る前に跳べ
ヤマ7月5日、6日

いわきの奥地、小川町上小川戸渡の旧戸渡分校。土日に学校を開放しているので、誰かが留守番に行かなければならない。土曜日は友人ら4人で、日曜日は友人と知人の家族たちが来て、一日留守番と学校の整備を行った。校庭の草むしり、倉庫整理、図書整理など、やることは多い。

過疎化の進む僻村の廃校。確かに、何の特色もない、ありふれたものといえばそうなのである。逆に、都市部の廃校のほうがよほど珍しい。

この廃校利用のプロジェクトは、地域活性化という大きな目標があるわけ(だろう)だが、そんなことばと日々の学校の整備との間には相当な距離があることは容易に推測できるし、実感でもある。といっても、学校を維持するにはやらなければならないことだし、しょうがないことである。

学校の整備の作業中に、この学校を始めて訪れた女の子が、こんな疑問を口にした。「ここで何をやれるの?」確かに、何がやれるのだろう。学校に立ち寄った人は、校舎を一回りして、お茶を呑んで…。それから?

作業を中断して、自分たちが、今ここでやれることをやってみることにした。

外の体育倉庫には、跳び箱、体操のマット、グローブ、腐ったラグビーボール、バドミントンのラケットなどが、無造作に押し込められていた。それらを整理しつつ、空気の抜けた一輪車に空気を入れてみる。女の子は、小学校の頃に一輪車に乗っていたといい、一輪車で校庭を回りはじめた。ちゃんと乗れる。

誰かが、何かをやれるように学校を整備する。そうではなくて、今ここで自分ができること。それを一つ一つ試していくことが、学校の可能性を広げることなのだと思った。

翌日の日曜日は、校庭にテニスネットをはって、テニスをやってみた。バレーのネットはからまっていて使えなかった。教室に卓球台をひっぱりだし、卓球をやってみた。竹馬に乗ってみた。アコーディオンを弾いた。木琴を叩いた。ギターをかき鳴らした。パスタを作ってみた。

数年間、この学校にかかわりながら、訪れた人がこの場所で何ができるのか。それを考えていなかったように思う。明日に残るのが筋肉痛だけじゃないように。